風と共に去りぬ

 

新年度もとっくに過ぎて、いつの間にやらGWに入っていました。

今年は新年明けてから、怒涛の様にやる事が多くて

なかなか記事を書く事が難しい状況でした。

決算期もあったので、書類等の作成と提出もありましたが、

昨年度を終えようとしていた3月には、

いろいろな事がクリアになり、

OHANAの周りの環境を急いで変化させなければなりませんでした。

 

繋がりという言葉の真意

支援活動をしていると、よくこの言葉を耳にします。

しかしながら、この言葉を使う人は「繋がる」という意味を

キチンと理解しているのだろうかと思う事が、

とてもよくありました。

「繋がる」と「紹介」とは全く違う意味であると

ちゃんと理解しているのだろうか。

また「支援」と「ただ助ける」をごっちゃにしていないだろうか。

人と人が繋がるという事には、必ず責任が生じると私は思っています。

何故なら、そこには人間関係が生まれる訳ですから、

人の人生に大きな影響を与えます。

加えて、それは継続されていくものです。

ですから、繋がる、もしくは繋げる際には、

純粋に、また真剣に取り組まないと、

「繋がる」という言葉を使った動機が必ず暴かれていくのです。

自分が誰かに認められたい、良い人として知られたい、

そんな邪な気持ちで使っていれば、必ず誰かに心を見抜かれ、

信用は地に落ちます。

「支援」も同様で、「ただ、誰かに役に立ちたい」と思っているあなた、

何故、誰かの役に立ちたいのか、じっくりと胸に手を当てて考えてみてほしい。

周囲の人から褒められたい?もしくは、本当に苦しんでいる人の話を聴いて、

噂話の種を探していない?相談員というコミュニティの中で友達がほしい?

心当たりのある方は、どうぞ「慈愛」について、

もっともっと勉強してほしいと思います。

誰かを助けたからと言って、それは特別な事ではないのです。

私達だって、子供の頃はたくさん親や友達、近所の人達に助けられて、

そして大人になったはずです。

それを、公的支援に関わったからと言って、

また支援員、もしくは相談員になったからと言って、

なぜ、自分はやってやっていると思うようになる人が多数存在するのか

私には全くもってして理解出来ない事です。

とはいえ、この社会の中にはたくさんの利害関係や

人間関係が存在するのも事実であって、

私にとっては非常にストレスでした。

 

私は二度と飢えません

 

 

名作と言われる「風と共に去りぬ」の主人公、

スカーレットが南北戦争で、自分達の家や土地をとられ、

また愛する人達を失い、裕福な生活から極貧な生活に陥った時に、

お嬢様として育ってきたスカーレットが、畑の土を握りしめながら

 

「神様に誓います。私は二度と飢えません。」

 

そんなシーンがありました。

その後、スカーレットは死ぬほど働いて、

また裕福な生活を取り戻していくのですが、

何とも力強い言葉です。

私はスカーレットほど優秀ではないけれど、

だけど、いろんなしがらみにもまれ、

制限のある支援をしたくはないと強く思っています。

経済的に困窮している人に食べ物を提供してもらうにも

例えばひとり親家庭限定だったり、回数制限があったりして、

そこの調整だけで、とても疲弊していましたが、

遂に、OHANAは畑を持つことが出来ました。

OHANAのアトリエに来る当事者の方に気兼ねなく、

私達が作ったお野菜を差し上げたり、

ご飯を食べてもらう事ができるなんて最高じゃないですか!

OHANAの畑には、お野菜だけじゃなくて、

お花もいっぱい植えようと思います。

もしも「ものつくり」が得意でない場合でも、

お日様の下で土を触りながら、健康的な生活リズムを作りましょう!

 

私はOHANAに来る当事者の方を決して飢えさせません。

そして、これから収穫するであろう(上手くできるかどうか不安ですが。。)

OHANAのお野菜やお花には、優しさがいっぱいです。

 

 

 

 

 

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