2023/01/11

パープルリボンのその先にあるもの

 

 

 

先日、ファイザー助成金プログラムのオンライン贈呈式がありました。

贈呈式では、助成団体が集まって、オンラインではありましたが、

団体同士の交流会がありました。

今回の記事は、私の実に個人的な感想になるのですが、

そこで、亡き父からの思わぬプレゼントがありました。

 

パープルリボンと性暴力

 

パープルリボンには「女性に対する暴力をなくそう」という意味があり、

毎年11月頃になると、各地でパープルのイルミネーションを点灯したり、

パープルリボンのパネルやバッチをつけて、

街頭で女性支援団体がとても活発に啓発活動をしています。

でも私は、被害当事者ではあるものの、

こうした活動に参加する事に違和感を感じていました。

女性に対する暴力は決して許される事ではないし、

絶対にしてはいけない事です。

しかしながら、女性に対する暴力と性差別を

一緒にしてしまっているようにも見えてしまって、

全ての男性を敵視したような行動にも見えかねなかったからです。

いかなる性加害も許すべきではありませんが、

性加害をしていない健全な男性までも攻撃する必要はないと

私は思うからです。

時々、活動家と言われる人達が過激な言葉を使って、

度々、炎上したり、色々な人と争っている報道を目にすると、

私は性被害と同等なほどに、心が傷だらけになるのです。

なぜなら、そうした報道ばかりされていると、

私達OHANAにも同じ言動を求めてくる人達が一定数いて、

その対応をしていると、心身ともに疲弊してしまうのです。

 

私達OHANAは、「ものつくり」を通して、

被害後に被害当事者が心から安心して心身を回復し、

どんな社会であれ、生き抜き、しっかりと自立し、

被害の記憶を乗り越えた後の自分の人生を切り開いていく為の

創造力を養う為の「居場所」を柱としていますから、

それ以外の事(デモとか、ロビー活動等)は

私にとっては、非常に負担になるのです。

そして時に、パープルリボンを公の場で表明する事で、

 

「あの人は性暴力被害者なんだ。」

 

そう思われる事が非常に苦痛にも感じる時もあるのです。

だって私は、被害当事者ではあるけれど、

被害の事だけでこれまでの人生は構成されておらず、

被害に遭う前の良い思い出まで、性被害に呑み込まれてしまうなんて、

非常に理不尽に感じてしまって、死にたくなるほど悲しくなってしまうのです。

 

*もちろん、私は。。。。です。

 

だって、私の父は男性だけど、天使のような人で、

家長制度とか、あらゆる差別とか、戦争とか、

そういった類のものとは無縁の人だったので、

性差別の問題が入って来ると、

天使のような父の事まで責めている気がしてしまうのです。

 

父とパープルリボン

 

こんな風に心がバキバキに折れていた矢先に、

贈呈式があったのですが、

そこではじめて、「パンキャンジャパン」という団体を知りました。

この団体は「膵臓がんの撲滅を目指している」団体で、

このキャンパンもパープルリボンを掲げていたのです。

膵臓がんは早期発見が非常に難しく、5年後の生存率が非常に低い上に、

末期の場合、発見されてから亡くなるまでの期間が

3か月~6か月程度と非常に短く、様々な準備をする時間が無い為、

当事者だけでなく、家族も非常に苦しい状況におかれていると

パンキャンジャパンの方が説明をしておられました。

 

今から30年前、天使の父もすい臓がんで、

発見からわずか3カ月後に他界し、

私達家族は、本当に苦しい思いをしました。

 

手術の後のダメージが残る身体で放射線治療を受け、

急激に体重が減少し、放射線治療を断念した後、

抗がん剤の副作用の吐き気の為に、

食事もまともに出来なかった父の闘病生活を思い出すと、

今でも、後悔しかありませんでした。

 

パープルリボンのその先

 

キャンパンジャパンの方の話を聴きながら、

私は父の言葉を思い出しました。

 

小学生の頃、私のクラスでいじめがありました。

特定の女の子をクラス全員でフルシカトするというものです。

給食の時も、遠足の時も誰もクループに入れてあげず、

ひたすらクラス全員で無視をするんです。

私は話しかけてくれば、話すようにしていましたが、

同じクラスの子から

 

「何で無視しないの?未来ちゃんも無視するよ。」

 

そんな風に圧をかけられ、少しずつ無視されるようになり、

みんなと一緒に無視はしなかったものの、

私から積極的に話しかけなくなりました。

そして運動会の日を迎えました。

仲間外れににされていた女の子のお母さんは

看護師をしていたので、運動会に来ることができず、

校庭の隅でブランコに腰かけて、一人でお弁当を食べていました。

それを見た父が、

 

「あやちゃん、おじさん達と一緒にご飯食べようよ!

こっちにおいでよ!」

 

そう言って、ブランコのところまで彼女を迎えに行って、

我が家のシートまで連れて来た時、

彼女が大粒の涙を流して、泣いてしまいました。

他のクラスメイトやその家族もいて、

彼女が泣き出した途端、一斉にみんなの視線が

私達家族の方に向きました。

でも、父も母も全く気にせず、

 

「泣きたい時はいっぱい泣いたらいいよ。

その変わり、泣いたらちゃんとごはん食べよう。

でないと、午後も頑張れないよ。」

 

そんな風に、泣いている原因の核心には触れず、

その日は一緒にご飯を食べ、運動会は終わりました。

家に帰ると、私の予想通り、父に呼ばれて事情を聴かれました。

そして私は、父に今、クラスで起きている事の次第を話すと、

父は私にこう言いました。

 

「そうなんだ。で、何で未来はあやちゃんの味方になってあげないの?

お前、グー強いし、級長さんだろ?」

 

「でも、味方したら、無視するって言われたんだもん。

もし味方して、私がひとりぼっちになっちゃうのやだよ。」

 

私がそう言うと、父が食い気味で言いました。

 

「一人になんかならないよ。パパがいる。

みんなが未来ちゃんの事、仲間外れにしたら、

パパが一緒に学校に行くよ。

だから、仲間がずれは弱い者いじめなんだって、

みんなに言ってやれよ。

お前は、絶対に一人になんかならないから。

勇気だせよ!パパがいるから!」

 

そんな父の思い出が頭に浮かびしました。

 

色々な人がいて、意見の相違があって、

時にぶつかる事があって、孤独に思えたとしても、

私には父が居る。

顔と実名を出して、被害の事を話す事だけが勇気の全てではない。

自分一人でじっと耐え、心が被害の記憶でいっぱいになった時、

弱音を吐きながらでも必死に生きている当事者も、

同じように相当の覚悟と勇気が要る事を

私はよく知っています。

そんな言葉なき当事者の味方でありたいと願って、

OHANAははじめたはず。

そして、パープルリボンは性暴力のトレードマークではなくて、

愛する父のトレードマークでもあった事を知り、

 

「パパは今でもそばに居る。だから勇気を出せ!」

 

そんな父の言葉と一緒に、再び父から

勇気というプレゼントを貰えたように感じました。

 

性暴力被害者支援のその先には、

目的や分野を超えて、

私達と同じパープルリボンを掲げて闘っている人達がいます。

そして更にその先には、愛する天使の父が居て、

性暴力被害当事者である事は、恥ずかしい事ではなく、

何か理由を付けて、繋がる事や自分の信念を

諦めてしまう事こそが、差別であり、偏見であって、

そういった事にさえ、気付かなくなってしまう自分こそが、

愚かで、恥ずかしいのだと教えられた気がしました。

 

パンキャンジャパン

ファイザー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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