みんなが悪い人じゃないから

 

 

 

これまでたくさんの性犯罪被害の事、

それに伴う二次被害の事を書いてきました。

被害後に被害当事者が向き合う気持ち、

経験する二次被害の事、環境の事、将来の事。。。

被害の悲惨さや深刻さをたくさん書いてきました。

被害から約4年が経過し、

当事者の方と寄り添う活動を始めて2年が経過し、

自分を責めてしまう気持ちについて、

どうして自分を責めてしまうのか、

少しだけ言葉にできるようになったので、

残しておきたいと思います。

 

どうして自分を責めまくるのか?

 

二次被害というと、行政や医療等の公的支援窓口での対応が

往々にして取り上げられます。

私自身もそんな事を書いていたように思うんです。

でも、でもです。

そうした窓口にも、とても良い人がいて、

救われたのも事実なのです。

私の場合で言うなら、

所轄警察ではとてもひどい目に遭いましたが、

県警、警察庁、近所の交番のおまわりさんにどれだけ救われた事か。。

自分が住んでいる地域の区役所の対応は

本当に心無いものだったけど、

私の安心と安全のために、

となりの横浜市の各行政の人がどんなに尽力してくれた事か。。

被害当事者である私が活動を開始するにあたって、

内閣府、法務省の人権擁護委員の方、

社会福祉協議会の職員の人達がかけてくれた言葉が、

どれほど自尊心を取り戻してくれた事だろう。。。

高裁まで長引いた裁判を迅速に終わらせてくれた裁判官により、

私はこうして生きているのです。

ごく少数とはいえ、

こうした優しい人の思いは本当に貴重なものです。

そしてごく少数だけど、

すごく大きくてものすごい力をもっています。

そんな貴重で大きな思いを理解できるようになると、

誰の事も憎みたくなくなるのです。

加害者や被害の事を許す事は絶対にないけど、

ずっと恨みに思い続ける事が本当に苦痛になってきて、

被害の記憶が乗り越えられない自分を

責めてしまうのではないかと思うのです。

 

みんながみんな悪い人ばかりじゃないから、

自分を責めながらも生きようと思うんです。

 

それが良いか?悪いか?は別として。。。

 

強靭な優しさのトレーニング

 

被害後の私達当事者の感情や感覚は、

通常の人と同じではいられなくなります。

公共の乗り物で、自分の近くに異性がいるだけで苦しくなってくるし、

車内に掲示されている異性を意識したようなチラシをみるだけで、

被害の事を思い出し、吐き気すらしてきてしまう。

そんな風に、ものすごいハンディだらけの世の中を生き抜くためには、

通常の人よりも強くならないといけないのかも知れません。

そして、そんなハンディだらけの世の中で

誰の事も憎まずに、生きていくためには、

強靭な優しさを身に付けないといけないのかも知れません。

自分を責めても、一日一日を乗り越えて生きてくという事は、

まさに優しさを鍛えているのではないでしょうか。

 

誰かのために生きる事で

 

被害にあった自分の事を責めてしまって、

その気持ちが止まらなくなったら、

 

自分の為に生きなくて良い

 

私はそう考えるようにしています。

許せない自分の為に生きるぐらいなら、

同じ経験をし、苦しんでいる誰かの為に生きれば良いのです。

一緒に乗り越え、寄り添って生きていくことで、

性犯罪や性暴力はいけないことなのだと、

伝えていけば良いのです。

そして一番大切な「伝える方法」こそが、

私も含め、被害当事者であるみなさんが生きるという事に尽きるのです。

 

OHANAに来てくれる当事者の方、

みなさんがOHANAに来てくれている事で、

私は本当にいっぱい救われているんですよ!

被害の後の言葉にできないその気持ち、

その気持ちを抱え、OHANAの相談室まで来てくれているみなさんは、

本当に強くて力があるんですよ!

だから。。。

あきらめないで!一緒に乗り越えていきましょう!

#Me tooと言わなくても、

被害の記憶を引きずったまま今日を生きているみなさんは、

十分に勇気があって強いんですよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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