明日、私が生きていたら

 

 

明日、私が生きていたら、

記事をアップしよう。

明日、私が生きていたら、

私にはしたい事がある。

もしも、私が生きていたら、

父と、息子に

 

「ごめんね。」と

 

謝りたい。

 

被害当事者として生きるという事は

 

私は性犯罪被害の民事訴訟で闘うために、

父の優しさも、息子の命も、

人間として絶対に捨ててはいけないものを、

無かった事にして、生きていました。

「性犯罪被害当事者」として生きていくために、

「生きる強さ」と引き換えに、

社会が抱いている「被害者像」を演じる為に、

私の歴史の事実を捨てようとしました。

 

被害にあって生きていく事は、

当事者にしかわからない理不尽さを飲み込まなければ、

今の日本では、まだまだ生きずらい。

 

私が今でも生きる事がとても苦手なのは、

人生において、一番伝えたい人の事、

人生において、一番幸せだった事実を

誰にも語れない罪悪感があるから。。。

 

父も、息子もすでに他界しているけれど、

だからこそ、

自分たちの思いや、存在した意味を語れない人達だからこそ、

彼らが生きた意味や生き方を伝えなければいけないはずなのに。

すでに他界している彼らの命と、

今も生きている私の命、

 

だけど、全部、尊い命に変わりはないはず。

 

そして、命の尊さを教えてくれたのは、

そんな父と、息子なのに。。

 

もしも明日があるならば

 

私は、加害者が憎い。

私の一番大切な人を奪った加害者が心から憎い。

父が教えてくれた「人に優しくすること」、

息子が教えてくれた「どんな命でも意味があること」

それを利用し、私を支配した加害者が心から憎い。

 

そして何よりも、

今日まで、それを発信できなかった自分が、

何よりも憎い。

 

もしも私が生きていたら、

この記事をアップしよう。

 

そして、心から謝りたい。

 

「パパと、なっちゃんの事、

忘れようとして、本当にごめんなさい。

勇気がなくて、本当にごめんなさい。

もう、自分のために、命を使いません。

もしも、今日を乗り越えられたら、

パパと、なっちゃんの倍の倍、

たくさんの命を救います。

だから、どうぞ許してください。」

 

 

 

 

 

 

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