夢の中へ

 

 

本格的な梅雨に入り、

毎日、憂鬱な日が続きますね。

こんな時期はメンタル的にも本当に滅入ってしまいます。

先日、大好きなキヨシローの動画を観ていたら、

井上陽水、細野先生、高中先生達が「夢の中へ」を

歌っている動画がありました。

 

休む事も許されず、笑う事は止められて

 

私は被害に遭ってから、

その記憶を忘れるという闘いをずっと続けています。

その闘いを「休む」という事は、

私にとって「死ぬ」事を意味していて、

まさに、被害に遭った瞬間から休むことは許されていません。

そして、日本の社会によくありがちな

「被害者像」という観念のために、

笑う事すら止められている感じもします。

 

「性犯罪の被害に遭ったのに、あんなに楽しそうだなんて。」

 

「被害者なのにおしゃれなんかして、妄想なんじゃないの?」

 

「被害者当事者が支援するっていう事は相当強い人なんだ。」

 

「なんで#Me too運動に積極的じゃないの?」

 

様々な事を言われます。

そういった周囲の様々な誤解と押し付けにより、

私は今でも、いろんな事を諦めたり、

傷だらけになっても助けてと言えなくなることがあります。

 

強くなる必要なんてない

 

OHANAの活動をしていると、

一般的な「支援団体」と間違われ、

随分と心無い事を要求してくる人います。

例えば、

 

「心の傷が治りきっていないのに、

どうやって人を助けるんですか?

もっと強くならないと!」

 

被害の記憶が綺麗さっぱり消える事なんて、

魔法使いじゃない限り、絶対にできません。

心療内科に行って、強めの眠剤をもらって、

眠る事がせいぜいでしょう。

被害当事者である私から言わせてもらえば、

 

「じゃ、あなたも被害に遭ってみたら?」

 

そうとしか言いようがありません。

まさに、そんな考え方自体が「二次被害」なのです。

そして強くなることについても、

実はそういう人達は「強さ」を

完全にはき違えているようにも私には思えます。

私達被害当事者の「強さ」は「生きる」という事ですが、

前述した人達の「強さ」は対人関係に対しての「強さ」らしい。

 

被害後はいろんな事が敏感になってしまうので、

周りの人から何を言われても「耐える強さ」や

「気にしない強さ」を持たないといけない

(私にはそんな風に聞こえている)らしいのですが、

それは違うと私は思っています。

 

だから私はOHANAの活動を始めたんです。

いろんな観念で凝り固まった日本で、

被害当事者だけが抱える気持ちを抱えながら、

生きていくという事は本当に大変な事です。

誰にも傷つけられず、

どんな自分を無条件で受け入れてくれる人と

過ごした方が良い時間が絶対に必要なのです。

 

誰かが「#Me too」と言ったから自分も言わなくちゃとか、

被害者を助けるのであれば、強くならなくちゃいけないとか、

いろんな理不尽に押し潰されてしまいそうなのです。

でも、ちょっと考えてみて。。。

これって、パワハラですよね。

 

被害者=弱い

支援者=強い

 

これは、本当に間違った考えです。

被害当事者にしかわからない気持ちがあります。

当事者が支援する側にまわったからといって、

記憶がきれいに消える訳なんてないので、

当然の事ながら、傷つきやすくなる時があるからです。

 

夢の中へ

 

 

 

そんな事を考えながら、この曲を聴いていたら、

私は私のままで良いんだな。

OHANAはOHANAで活動していけば良いんだなって、

そんな風に感じました。

当事者がありのままで居られる「居場所」であり、

どんなに時間がかかっても心が回復できるまで、

当事者に寄り添って生きていくOHANAでありたいと思いました。

「強さ」は生きているうちに強くなります。

だから、無理に強くなんかならなくていいし、

演じなくても良い。

ただ、ただ、生きていてくれたら私は嬉しいと思います。

そして、OHANAにいる時間が

唯一の「休める」場所、笑える場所にしたいなと思いました。

 

 

 

 

 

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