エースのカードは切られていない

 

 

先回の記事からずいぶんと時間が経ってしまいました。

あの辛い時期を乗り越えて、

私はなんとか生きてます。

先回の記事から、いろいろな事情があり、

この記事を書くかどうか、

とても迷ったのですが、

残しておこうと思います。

感情を素直に書いていくので、

文章としてお見苦しい点がありますが、

ご了承ください。

 

エースの事

 

エースは我が家の猫ちゃんです。

エースが我が家に来たのは、今から約5年前。

その時、私はちょうど被害に遭っていて、

心理支配を受けていた私の様子に気が付いた叔母が、

私が何もかもすてて、その支配下から抜け出し、

一日でも早く回復ができるように

近所の獣医さんからもらってきてくれた猫ちゃんでした。

我が家に来た時、エースは産まれて2週間ぐらい。

とても元気で可愛い子でした。

「俺は逃げない」

 

ワンピースのマリンフォード編が終わりの頃、

じわじわと職場での被害がはじまりました。

何かと理由をつけては、加害者と一緒に仕事をする時間を増やされ、

蜘蛛の巣にかかるように、

私は加害者の巧みな言動に支配されていきました。

仕事が終わり、家に帰ると、

加害者から、メールや電話があり、

それを拒否すると、翌日、職場で

私が加害者を仲間外れにしたかのような噂を広められ、

SNSでは不倫を誘っているかのように書き込まれ、

抜け出そうにも抜け出せない、

軟禁状態の地獄のような日々でした。

でも、その時は家族に助けてとは言えませんでした。

それは何故かといえば、

加害者は「心理支配」を「恋愛感情」にすり替えていたため、

妻であり、母である私は

パパや息子に被害の事を説明する事なんてできませんでした。

当然のことながら、我が家はまさに家族崩壊寸前。

そんな爆発寸前の家族全員にも、

エースは人見知りすることなく、

私にもパパや息子にもいつも平等に甘えてくれていました。

どんな険悪な言い争いの間も、

エースはどこにも隠れる事なく、

大喧嘩する家族のそばにいてくれたのです。

 

そして。。。

 

私が被害から抜け出した時、

エースが来てから約1年が経とうとしていました。

被害後の生活は度々、記事にしてきましたが、

言葉にできないほど、壮絶な環境でした。

性犯罪被害の記憶に加え、

二次被害の数々に苦しみ、

どれだけ自分を責め、

死にたいと願ったかわかりません。

家族が眠りについた深夜のリビングで、

自分を身体を傷つけ、血を流し、

ただただ時間を過ぎるのを待つだけ私。

 

だけど、だけど、

 

傷だらけの私のそばにはエースがいつもいて、

血だらけの私の腕の中に抱かれ、眠っていたのです。

汚れた私、血だらけの私、

そんな私でも、触っていいものがエースでした。

 

終焉の地

 

二次被害や裁判の為、

私は被害の事を話すのがとても苦手です。

その為、「話す」事では私の気持ちが癒される事はありませんでした。

話せば話すほど、記憶が鮮明によみがえり、

いつまでも自分の身体の中から被害の記憶がでていかないから。

そんな私は、ものをつくる事で随分と癒されました。

私は汚れているけれど、

そんな私でも何かを作って形にしてみると、

案外、上手に綺麗にできるものです。

何かを作っている時は、その時間だけ、

被害の記憶から解放され、集中できる貴重な時間。

誰にも迷惑をかけないで、

自分一人で頑張れる時間をみつけられるようになりました。

そして、ものつくりのブログをきっかけにして

自分の作った作品を地域のイベントで出店販売し、

新しい出会いがあり、何とか自分で生きる事ができるようになりました。

ゴロゴロしているエースの横で、

夜遅くまでミシンをかけたり、編み物をしたり、

パソコンでコンテンツを作ったり。。。

自分を傷つける事を「つくる」事に変えてきました。

私みたいに、言葉にする事が苦手な被害当事者の人がいるんじゃないだろうか。。

話すのは苦手だけど、誰かと一緒に安心できる場所があったら、

どれだけ助かるだろう。。。

その場所が社会との繋がりの場所になったら、

どれだけの被害当事者が貧困や孤立から解放されるだろう、

そんな思いでOHANAの活動をはじめたのです。

被害当事者が楽しめる時間、笑える時間、

社会が想像する「被害者像」を演じなくても良い場所、

そして家族でありたいと思ってOHANAがあるのです。

そんな色んな事情があり、

被害にあった地域を離れ、

去年、私達家族は海のある町に引っ越しをしました。

 

まさにいろんな事情を乗り越え、

崩壊寸前だった家族が一つとなり、

最後の力の振り絞り、幸せになるために

私達はこの町に来たのです。

その直後、エースの体調がおかしくなりました。

お腹のあたりがべこべこして、

動けなくなってしまったのです。

新しく引っ越した地で、獣医さんを調べて、

エースを病院に連れていみると、

エースは重度の心臓病を発症し、

その小さな身体の中には約500㏄の水が溜まっていたのです。

獣医さんから告げられたエースの

余命は薬を上手く服用したとしても、長くて6カ月。

その時のショックは言葉にはできません。

何とか整理していたはずの性犯罪被害の記憶が

また私を苦しめ始めました。

 

「私のせいなんだ。汚れた私が抱いたせいなんだ。

私が誰かを助けたいなんて思ったから、だからエースが病気になったんだ。」

 

私の気持ちをエースが知っていたかどうかはわかりません。

獣医さんから告げられた期限を過ぎた後も、

エースは何とか生きていました。

 

伝えていく活動と消えゆく命

 

OHANAを支えたいと願っている人達に支えられ、

OHANAは9月に法人化しました。

支えてくれる人、進むべき未来が見えてきたのを確かめ終わったかの様に、

エースは永眠してしまいました。

エースが亡くなった直後、

悲しすぎて、切なすぎて、

私は「生きる意味」が、また分からなくなりました。

まるで、私の忌まわしい事すべてをエースが吸い取り、

それをどこかに持って行ってくれたかのように思えたからです。

数日間、身体が動かなくて、涙が止まりませんでした。

自分が許せなくなり、自分を傷つけようと思い、

机の上にあるハサミに手を伸ばした時に

エースのお骨が目に入った瞬間、ある事に気が付いたのです。

 

「私にもまだ流せる涙が残っている。」

 

そう思ったら、「生きる意味」がたくさん湧いてきたのです。

 

「被害の記憶を消してあげる事は出来ないけど、

だけど、その記憶と向き合う時に一緒にいてあげられる事はできる。」

 

「私の活動を支え続けているひとがいる。」

 

「苦しみは変わってあげられないけど、

分かち合って、一緒に苦しんであげる事ができる。」

 

そんな風に、どんどん、どんどん、「生きる意味」が湧いてきたのです。

 

多分、この気持ちがエースの命の意味であって、

私の生きる意味なのだと、

何となく受け入れられるようになりました。

そして、とても重要な事にも気が付く事ができました。

 

被害当事者は、被害後に通常の生活は送れなくなります。

それでも何とか生きようと、小さな小さな努力を積み重ね、

一生懸命に一日をこなすように生きています。

たった一つの性犯罪被害によって、

こうしたささやかな希望や幸せを

一瞬にして奪ってしまうのです。

だから、性犯罪は絶対に許してはいけないし、

二次被害も絶対におかしてはいけない事なのです。

社会的、法的な事を考慮したとしても、

どんなに辛くても一生懸命生きようとしている人の人生を

奪う権利なんか誰ももってないはずです。

 

そしてエースの事で、私が嫌というほど感じた事を

最後に書いておこうと思います。

 

「人権は重い。だけど命はとても儚い。」

 

法律で定められているところの「人権」は、

とても大切で思いものであると書かれています。

「人権」を著しく傷つける犯罪や虐待は

絶対にいけない事なのだと書いてあります。

では「命」の儚さには触れてはいません。

被害の記憶と必死に闘いながら、

生きる理由を必死で探して生きている被害者は、

小さな出来事でも、生きていけなくなるほど儚いのです。

人類がみんな、強い訳ではないのです。

性犯罪は絶対にいけない事なのです。

 

加害者に私は言いたい事がある。

 

法律が許しても、私は絶対許さない!

エースのカードは切られていない。

あなたの罪は許されていない。

私はまだ、闘うぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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