現実という残酷な世界

 

被害当事者が被害後に直面する深刻な問題があります。

 

それは、必然的に被害当事者なら誰もが抱える問題です。

それは現実を受け入れるという事です。

 

性的な被害にあっていなければ大丈夫だった言葉

(個人によって差がありますが)

そういった言葉のキーワードで、フラッシュバックを起こしてしまいます。

「できる男、できる女になる秘訣」

「この夏はこのチュニックで女らしさを。。」

こんなありきたりな言葉でも、

私は未だにフラッシュバックを起こしてしまいます。

心のどこかに、他人から少しでも好かれる、

もしくは良い印象を受ける思いが少しでもあると、

「だから、そういう事されたんじゃないの?」

と言う心ない言葉に傷つけられるのではないかという恐怖を

心に植えつけられてしまったから。。。

 

現実に、そういう類の場面や言葉にどれほど傷ついてきた事か。。。

 

「早く忘れてしまいなさい。」

「打ち込める何かを見つけたらどう?」

「頑張って今までの分を取り戻さなきゃ。」

 

本当はとても優しい言葉のはずなのに、

それがとても残酷な言葉。

身近な人間によく言われる言葉なだけに、

実は深く、深く傷つくのです。

そして、傷つく事が怖くて、何も話さなくなり、

苦しいのに、一人になる選択肢しかなくなっていく。

忘れる事なんてできないし、

幸せな気分になんてなれない。

この気持ちだけは悲しいけど、

当事者にしかわからない気持ちかもしれません。

 

忘れたいと願う一方で、

自分は被害を性犯罪というひどい事をされたのだという事を

忘れないで欲しいのです。

 

心や頭の中に刻まれた記憶は、

完治する事はなく、

時間は経っても、何かの拍子に古傷の様に痛み出します。

あまりにも痛みがひどすぎて、

随分と時間が経過しても、痛みと共にまた傷口が開き、

その度に忌まわしき記憶を塞がなければなりません。

でもたった一人で立ち向かうには、

あまりにも苦しすぎます。

そんな時、私は「ピープル」

(小林美佳さんのサイトmicatsuki別館)を

観ます。(現在は終了してしまいました。)

美佳さん本人の思ったことの他に、

読者の人がコメントを書き込める様になっていて、

他の当事者の気持ちを知る事が出来るからです。

 

自分以外の当事者の方も、

私の様な思いを抱えていることを知り、

私に起こった事は、決して普通ではないことで、

私は何も悪くなく、被害者であったのだと、

少しだけ、自分を許してあげることができるのです。

 

周囲の人には過去ができ、思い出ができますが、

私にはありません。

過去を振り返る事、忌まわしき記憶を思い出にする事は、

本当に過酷な現実なのです。

 

 

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